
パナソニック社長 津賀一宏氏
いま、従業員30万人、売り上げ7兆3000億円の世界企業が、“危機”を迎えている。三洋電機、パナソニック電工の買収を完了したが、プラズマテレビへの巨大投資が大失敗したためだ。起死回生を狙って登板した津賀社長は、同社をどう立て直していくのか。日本のモノづくりは生き残れるのか?
ユニークな会社にならなくてはいけない
――Cross-Value Innovationの方針を打ち出しましたが、姿が見えにくいです。
【津賀】Aという技術と、Bという技術を足し算したり、かけ算することで新たなモノを創出できるとしましょう。しかし、パナソニックには、これを実現できるポテンシャルはあっても、ビジネスユニットやドメインをまたぐと、壁があってお客様提案にまでは至らない、事業には至らないということが多々起きていました。この垣根を外すことが、Cross-Value Innovationの第一歩です。そして、パナソニックの外にある技術を有効活用し、弱いところは他社とパートナーを組んでいくことがCross-Value Innovationにつながるわけです。
――Cross-Value Innovationがパナソニックに根付いたと判断する要素は何ですか?
【津賀】やはり商品です。もしくは、提携において、いままでの枠組みであったら、プライオリティがつけられなかったものを実現することです。Cross-Value Innovationの実現は、実力の問題ではなく、プライオリティの問題なのです。ここにプライオリティをおいていく。
いま、4つのカンパニーのトップである、カンパニー長自らがCross-Value Innovationを意識した経営をしています。私は、昨年7月に常務会を廃止し、カンパニー長と本社役員が一堂に会するグループ戦略会議を行っています。出席しているのは約10人。2週間に1度、3時間ほど時間を割いて、ここで全社の課題や戦略を議論し、決めていきます。この会議では、カンパニー長は自分のカンパニーのことを考えることも必要だが、他のカンパニーのことも考えなくてはいけない。Cross-Value Innovationは、経営の機軸であり、カンパニー長にも全社を見て経営をするといった姿勢を徹底している。これが事業部、あるいは社員にも伝わっていると感じています。
――Cross-Value Innovationを語るうえで、津賀社長は「ユニークな会社」という表現を用いますね。津賀社長が語る「ユニークな会社」とはどんな会社ですか。
【津賀】私たちが目指す経営は、「お客様へのお役立ちが最大化できる会社」であり、それがいい会社の定義。しかし、これを推し量る尺度がない。一般的にアナリストの方々は、パナソニックは、どの産業のなかに置かれ、どこの企業とベンチマークすべきかという視点で評価していますが、経営や事業をやっている立場からすれば、これはまったく意味がない視点です。パナソニックは、車載事業をやり、住宅事業もやり、そして、家電事業も、デバイス事業もやっている。これらが組み合わさることで、パナソニックでなくてはできない提案、商品、事業が生まれてくる。だから、こんなお役立ちができるというのが、パナソニックが目指す「ユニークな会社」です。
いまはセカンドギアの状態
――就任以来、「スピード感を持て」とおっしゃっています。スピード感の定着については、どう自己評価していますか。
【津賀】スピードはすぐには上がらないというのが実感です。結局、突き詰めれば、パナソニックに1番欠けているのがスピード。スピードを出そうとすれば、なにが必要か。プライオリティの付け方が適切でなくてはいけない。そのためには、自分たちにとってなにが大事なのか、なにがチャンスにつながるのかといったことを頭のなかで整理しておく必要がある。
そして、もっと「個人プレー」を重視しなくてはいけない。組織がスピードを上げるのは難しいが、個人がスピードを上げることで、ほかの個人のスピードにも影響を与え、組織のスピードが上がることになる。スピード感を実現するためには大切な要素だと思っています。
――調和を重視してきたパナソニックが、個人プレーを奨励して大丈夫ですか?
【津賀】我々にとって、いまこそ個人プレーが必要です。いまの当社の役員を見ても、社員や外部から評価される人は、個人プレーができる人です。従来型の仕組みのなかでは、個人プレーができずに出世してきた人もいるだろうが、もうそれは通用しない。その価値観も変えなくてはいけないと考えています。私は、次の役員を選ぶときには、個人プレーができるという要素は外せないと考えています。
――スピード感では、米国西海岸の企業が成功例によく挙げられます。アップル、マイクロソフト、Facebook、パナソニックが出資しているテスラモーターズもそうですね。パナソニックは、西海岸型の企業に変貌していくということですか。
【津賀】パナソニックは、いままで家電中心でやってきて、その家電はすべて自前でやっていたわけですから、全社にわたって自前で展開するという文化があった。ただ、これではスピード感がないですし、強みも発揮しにくい。また、タフブックの例に戻りますが、ハイテクの部分は、マイクロソフトとインテルにいち早く最新技術を提供してもらうという信頼関係を築き上げ、自らはローテクにフォーカスし、顧客価値の最大化に取り組んだわけです。非常に合理的な考え方であり、これは西海岸の考え方だともいえますね。
私がアメリカの大学院留学時代に、米国西海岸に住んでいて感じたのは、「モノには正解がない」ということ。そして、「オリジナリティ、ユニークネスが1番の価値である」ということです。どれだけ自分のアイデンティティを発信できるのかが重要であり、私自身もそういうふうになりたいと思っています。
――ところで、パナソニックの経営に関していえば、6段速のギアに置き換えると、どこの位置に入っている状態ですか。
【津賀】まだまだセカンドギアぐらいの状態ですよ。トップギアに入るのは、18年より先の話になります。トップギアに入るとトルクがありませんから、そこから加速はしない(笑)。スポーティー走行をしていくためには、できる限りローギアでいきたい。ギアを上げたり、ギアを下げたりといったことも柔軟にしなくてはならない。いまはそういう段階です。
プラズマテレビはすでに限界
――先日、10月1日付で役員人事を行いました。定例人事は4月です。役員人事をはじめ、人事異動は今後も柔軟に実施していくことになりますか。
【津賀】何事もないときであれば、定期時のローテーションだけでいいでしょう。しかし、よくよく考えてみれば、4月には新たな期が始まるということ以外に、特別な意味はありません。また事業計画も1年単位でいいのかという議論もしている。私のなかでは、4月だから、10月だからというものはありません。取締役は株主総会の承認を経ることになりますから、よっぽどのことがない限り、途中で代わるということはないでしょう。だが、役員については取締役会の承認だけで代えることができます。より透明性を持ったプロセスを確立すれば、いつでも異動はありです。事業部長に関しても課題があれば、すぐに代えることは辞さない。これもスピードのひとつです。
――先日、ヘルスケア事業子会社の全株式を、米投資会社のKKRに1650億円で売却すると発表しました。利益が出ているヘルスケア事業を売却する理由は。
【津賀】今後この事業を成長させるためには、多くの資金投入が必要ですし、専門的な見識や、お客様との深い結びつきが必要となります。結果として、自前でやるには限界がある、コア事業として大きく投資していくことはできない、そして見識もそこまでない、と判断したわけです。ヘルスケア業界そのものは有望だが、パナソニックが事業を伸ばしていけるかどうかは別の話です。より伸ばしていただける方と一緒にやることが、関わっている社員にとっても、技術や事業にとってもプラスに働くと判断しました。
――一方、赤字の元凶となったプラズマテレビ事業は、今後はどうなりますか。
【津賀】これは、お客様が決めること、というのが基本的な姿勢です。プラズマテレビのよさは認められたものの、工場をフル稼働させるだけの台数を売ろうとすれば、値段を下げざるをえない状況に陥り、赤字が拡大していった。ピーク時には年間700万台を販売していましたが、私がAVCネットワークス社の社長のときにはこれを250万台に下げ、利益が出る機種に絞り込んだわけです。尼崎の工場を維持するコストや、我々に部材を供給する企業のビジネスを見たときに、ある数量を維持しないと継続できないのですが、もはや、その限界にまできている。しかも、さらに数は減っていくでしょう。一方で、パナソニックは、大型液晶テレビに力を入れたり、有機ELテレビの開発に力を入れています。プラズマテレビの台数が下がっても、パナソニックのテレビの価値は下がっていない。次の世代に対して、パナソニックのテレビの価値、ディスプレーの価値というものを高めていくことに努力していきます。
――20年に東京オリンピックの開催が決まりました。どんな影響がありますか。
【津賀】東京オリンピックの開催が決定したことは、いろんな意味で追い風です。ただ、私が期待しているのはテレビ需要ではありません。期待しているのは、国内の建築需要が見込まれること、そして、非住宅のビジネスが大きなものになるという点です。そこに新たなパナソニックの強みが発揮できると考えています。
1956年、大阪府生まれ。府立茨木高校卒。79年大阪大学基礎工学部生物工学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)入社。86年カリフォルニア大学サンタバーバラ校コンピュータサイエンス学科修士課程修了。2004年役員、08年常務役員、11年専務役員、12年4月代表取締役専務を経て、同年6月から現職。
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