天台宗の開祖、最澄の有名な言葉に、『照千一隅 此則国宝』があります。(いろいろな読み方があるようですが、私は「一隅(いちぐう)を照らす、これ則(すなわ)ち国の宝なり」と読むのが一番好きなので、そう読んでいます)。
一般には、「偉くならなくてもいいではないか、社会の片隅で自分にできる精一杯の努力をし続けたらよい。それが一番社会に貢献したことになるのだ」といったニュアンスで解釈されています。
私の好きな言葉であり、この言葉を励みに仕事をしてきたと言っても過言ではありません。
ところで、最近、世界の中での日本の地位低下がしきりに言われています。中国や韓国に完全に負けてしまったとまで言われることも多い。
私は、負けてもいいではないか、と思っています。
その「負けてもいいではないか」のよりどころが、「一隅を照らす、これ則ち国の宝なり」でした。
日本人は、「一隅を照らす」を人生の指針として生きてきた民族であり、良質な工業製品が世界中を席巻し、経済大国と呼ばれる存在になったのも、工場や会社の隅(すみ)っこで自分の持ち場を守って営々と努力を積み重ねた名もない人々の集合知がたまたまもたらした結果に過ぎないのであって、大国になってやろうという野望をもって経済成長をとげてきたわけではない。
たとえ一時、よその国に負けて見下ろされる存在になったとしても、「一隅を照らす」が日本人の価値観の根底にある限り、また日本という国は立ち上がるであろうし、結局は勝ち残るであろう。
そんなことをぼんやりと思っていたのでした。
世界中のどの国を見渡しても、「一隅を照らす」で一生を終えるくらいなら見栄でもハッタリでもいいから偉くなって人の上に立ってやろうと思っているような国ばかりだから、日本人の根本精神が「一隅を照らす」である限り、日本人であることが実は一番幸せなのではないかとも思っていました。
最澄の言葉は違っていた
ところが、この最澄の書き残した言葉、仏教界では、実は本当は違う意味だということで決着がついているようです。
長いこと、『照干一隅 此則国宝』と読み、私が上で述べたような意味で解釈されてきました。
ところが、最澄の真筆をちゃんと見ると、どう見ても『照千一隅 此則国宝』である。『干』ではなくて『千』だとすると、「一隅にありながら千里を照らす逸材こそが国の宝である」と読まないといけない。
最澄が踏まえた中国の出展の原義も、「千里を照らす優れた才」の意味だそうです。
さらに、「一隅」に、隅(すみ)っこなんて意味はない。「今存在するその場所」というそれだけの意味らしい。
新しい解釈だと、『照千一隅 此則国宝』は、「どこにいても才能のある人はその才能で千里を照らす、そういう人こそ国の宝である(だから、為政者は才能のある人を見出し、抜擢しないといけない)」くらいの意味になります。
私が思っていたような謙虚な意味はまったく含まれていないことになります。
「最澄ほどの人が、世間のすみっこでチマチマ頑張っていろなんて小さいことを言うはずがない」とか、「偉くならなくてもいいなんて、最澄はなんとケツの穴の小さい奴だ(司馬遼太郎さんの言葉だそうです)」とかの批判もあったようで、仏教界では新しい解釈で最澄の「名誉回復」がなったと評価されているらしい。
誤った解釈こそ日本人の知恵
中国で尊敬される人のパターンとして、地方で不遇な地位にあった人材が、才を見出されて出世するというのがよくあるので、多分、『照千一隅』の元の意味は「千里を照らす才」という意味でしょう。
最澄も、遣唐使で中国に渡り、当時の先進国の知識を日本に広めようとした人ですから、中国人が望んでいる、「偉人が千里を照らす」理想を、語り伝えたのでしょう。
ところが最澄の「期待に反して」、日本人は、自分たちの心の琴線にふれるように、この言葉を、「社会の片隅でこつこつと自分の職務を精一杯遂行することこそ実は最も尊いのだ」という謙虚な意味に改訳してしまったのではないでしょうか。
日本では、「偉い」人(というか、偉くなりたい人)は尊敬されません。私たちは潜在意識の中で、どうも「偉い人」が突出するのを忌み嫌っているような気がします。
一般には、「偉くならなくてもいいではないか、社会の片隅で自分にできる精一杯の努力をし続けたらよい。それが一番社会に貢献したことになるのだ」といったニュアンスで解釈されています。
私の好きな言葉であり、この言葉を励みに仕事をしてきたと言っても過言ではありません。
ところで、最近、世界の中での日本の地位低下がしきりに言われています。中国や韓国に完全に負けてしまったとまで言われることも多い。
私は、負けてもいいではないか、と思っています。
その「負けてもいいではないか」のよりどころが、「一隅を照らす、これ則ち国の宝なり」でした。
日本人は、「一隅を照らす」を人生の指針として生きてきた民族であり、良質な工業製品が世界中を席巻し、経済大国と呼ばれる存在になったのも、工場や会社の隅(すみ)っこで自分の持ち場を守って営々と努力を積み重ねた名もない人々の集合知がたまたまもたらした結果に過ぎないのであって、大国になってやろうという野望をもって経済成長をとげてきたわけではない。
たとえ一時、よその国に負けて見下ろされる存在になったとしても、「一隅を照らす」が日本人の価値観の根底にある限り、また日本という国は立ち上がるであろうし、結局は勝ち残るであろう。
そんなことをぼんやりと思っていたのでした。
世界中のどの国を見渡しても、「一隅を照らす」で一生を終えるくらいなら見栄でもハッタリでもいいから偉くなって人の上に立ってやろうと思っているような国ばかりだから、日本人の根本精神が「一隅を照らす」である限り、日本人であることが実は一番幸せなのではないかとも思っていました。
最澄の言葉は違っていた
ところが、この最澄の書き残した言葉、仏教界では、実は本当は違う意味だということで決着がついているようです。
長いこと、『照干一隅 此則国宝』と読み、私が上で述べたような意味で解釈されてきました。
ところが、最澄の真筆をちゃんと見ると、どう見ても『照千一隅 此則国宝』である。『干』ではなくて『千』だとすると、「一隅にありながら千里を照らす逸材こそが国の宝である」と読まないといけない。
最澄が踏まえた中国の出展の原義も、「千里を照らす優れた才」の意味だそうです。
さらに、「一隅」に、隅(すみ)っこなんて意味はない。「今存在するその場所」というそれだけの意味らしい。
新しい解釈だと、『照千一隅 此則国宝』は、「どこにいても才能のある人はその才能で千里を照らす、そういう人こそ国の宝である(だから、為政者は才能のある人を見出し、抜擢しないといけない)」くらいの意味になります。
私が思っていたような謙虚な意味はまったく含まれていないことになります。
「最澄ほどの人が、世間のすみっこでチマチマ頑張っていろなんて小さいことを言うはずがない」とか、「偉くならなくてもいいなんて、最澄はなんとケツの穴の小さい奴だ(司馬遼太郎さんの言葉だそうです)」とかの批判もあったようで、仏教界では新しい解釈で最澄の「名誉回復」がなったと評価されているらしい。
誤った解釈こそ日本人の知恵
中国で尊敬される人のパターンとして、地方で不遇な地位にあった人材が、才を見出されて出世するというのがよくあるので、多分、『照千一隅』の元の意味は「千里を照らす才」という意味でしょう。
最澄も、遣唐使で中国に渡り、当時の先進国の知識を日本に広めようとした人ですから、中国人が望んでいる、「偉人が千里を照らす」理想を、語り伝えたのでしょう。
ところが最澄の「期待に反して」、日本人は、自分たちの心の琴線にふれるように、この言葉を、「社会の片隅でこつこつと自分の職務を精一杯遂行することこそ実は最も尊いのだ」という謙虚な意味に改訳してしまったのではないでしょうか。
日本では、「偉い」人(というか、偉くなりたい人)は尊敬されません。私たちは潜在意識の中で、どうも「偉い人」が突出するのを忌み嫌っているような気がします。
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